32歳の日々フツフツ

繰り返される何気ない日々とフツフツした日常とこころのことと、今日の献立を書き留めて。

霜月28日晴れ さつまいもと海老のかき揚げ

 

一歩踏み出すきっかけをもらった気がして、じぶんの真ん中と繋がりたくて、22日に今泉神社に足を運んだ。

 

階段を上ると、紅葉したイチョウの葉が一面に広がっていて、サプライズみたいで思わず感動した。

 

御神籤には、この世は矛盾だらけである。常に透き通った心で過ごしたいと願うけれども、心の水もほっとけば濁ってしまう。内に理想の灯りを掲げて、日々鍛錬することが大切であると。

 

なんだ、そういうものかと、何かが腑に落ちた。自然とできるものではないのだ。寝転がっていた心がようやく起き上がった気がした。自立しようとする感覚が湧き出てきた。自らの気持ちが無ければ、自立することはできない。

 

この世は矛盾だらけだ。でもその中で心持ちをどのようにして生きるのか、私たちはそういう修行をしている。

黒も白もどちらもある。その中でどのように生きていくのかは自分で選ぶことができる。如何様にも生きることができるのだよ。

 

そんなことを言われている気がして、ずっと抱いていたモヤが吹き飛んでった。楽しんで生きるのか、苦しんで生きるのか、自分の人生を生きるのか、他人の人生を生きるのか、それは自分次第。

 

過去と未来は繋がっているのではない。ただ、点と点を現在という今が繋いでいるだけだ。今どんな種を蒔くのか、私たちは今ここから選ぶことができる。過去に蒔いた種は育ち、未来のどこかで収穫を迎える。そのとき、昔の自分自身はどんな種を蒔いたのか気付くことができる。それは良くも悪くも、これからどんな種を蒔きたいのか、教えてくれるヒントになる。どんなものも大切な経験の一つであって、良し悪しを付けるには勿体ない。そこから学べることが沢山あるから。そんな風に、目には見えない自分の内側をこの現実に映して私たちは観ている。大切なのは、後悔することではなく、その気付きを持って変容していくこと。過去と現在も繋がっている訳ではない。だからどんな過去であれ、私たちはいつだって変わっていける。

 

神社の隣には小さな池があって、風で波打つ水面が神さまが描く自然のアートのように見えて、とても美しかった。素敵なものを見せてもらった。

 

本当に有難う御座いました。