32歳の日々フツフツ

繰り返される何気ない日々とフツフツした日常とこころのことと、今日の献立を書き留めて。

文月29日晴れ雨 風のじだい

生きようと燃え上がる、飛び出すような勢いのある、はじまりの火の時代から、何かを創り上げる地の時代を経て、色んな物や、技術が発達した。食べ物も十分にあって、暮らしも便利になって、物もありふれていて、不便ではない豊かな時代。

 

これから私たちが迎えるのは風の時代で、つなぐ時代。

個と個を繋ぐ、そんなところに軸が置かれる時代。地の時代で創られた個々が、一つステップアップしたところで転じていくような。

 

風はcommunicateであったり、思考や知を担うから、今このせかいに在るものに、私たち人間が理解を深め、より深いところで繋がることができるようになる段階にあるのだと思う。今このせかいは、沢山の物や情報に溢れていて、知っていることは僅かで知らないことの方がきっと多い。

相手やその物事への理解は、そこにある人自身や、作り手、発信者の想いという、目にはみえないけれどそこにある、愛そのものを知ることになる。愛は個々をくっつけるのりみたいなもので、これがすきだとか、これがいいよねとか、もっと知りたいとか、居心地が良いとか、恋愛に限らずそこにある愛情が、人やひと、人やものをくっつける。

 

自分軸というアンテナによって、繋がっていける時代。同じ価値観を持って生きている人々と輪になれる時代。個よ、孤を描いて、皆で輪になれ。

 

風は高低差のあるところに吹く。精神性の高低差でそこに風が吹き交わらず、其々が生きやすくなるという見方もできるし、高低差をもっとフラットな軸で個々の違い、個性の違いという風に考えることもできる。

違っていていい、同じじゃなくていい、そんな時代。これまでは皆同じとか、こうでなければならないというような枠がある世の中だったように思うけど、風でそんな枠は取っ払われ、もっとフラットに、互いを尊重するような個々の隔たりに心地よい風が吹く。違っているからおもしろい、そういう考えありだねって。

その物事が何なのかっていう真実は一つ。だけどそれをどんな風に捉えるのか、解釈するのか、それを良しとするのか、白黒つけるのかグレーにするのかは人それぞれで、視点によっていとも簡単に黒が白になったりするし、逆もある。何を正解として生きていくかなんだ。正解は一つじゃない。何個でも無限にある。

 

でも忘れてはいけないのは、他人を傷付けてはいけないということ。角はない方がいい。当たったら痛いから。でもみんな違っているから、うまく伝わらないこともあるし、うまく理解できないこともある。人と関わり合いながら生きていくって、本当に素晴らしいことなんだけど、難しかったりもする。それぞれ持っている物差しは違っていて、きっと見えている景色も違う。自分自身の思いも汲み取って、もう片方の手で相手の思いも汲み取る。そのために両手があるんだよと教えてもらったことがある。これを調和という。自分も、相手も、そううまくバランスとってやるっていうのは、簡単そうで意外と難しい。だから不器用に、傷付けてしまうことは誰にだってある。それでいい。それに気付いたら謝ったらいい。感じたことを伝え合う、それでいいんだよ。

人を敬いなさい。解らないなら、解るよう努力しなさい。人は皆、師。人は自分を磨いてくれている砥石。

 

風は目には見えない。目には見えないけれども、確かにそこにあるもの。そんなものに軸が置かれる。例えば、インターネット。どこに居ても繋がれる。そんな時代だから、つくられる時代。当然個である時間帯っていうのも増えるわけで、内に向かっているようで、外に向かっているようなそんな状況は、強制的にもコロナウイルスによって現実に起きている。

 

全の視点でみてみると、それがこの先にあるゴールに行く為の方法なのかもしれない。コロナを肯定するわけではない。成らざるを得ない状況になって動きだす、破壊と創造。これまでなかなか崩れなかったものが動きだす。

 

個でいるじかんは、周りと自分自身を切り離しやすくなり、自分軸に戻りやすくなる。すると自ずと内省するじかんっていうのが増えていき、一つ精神性が上がるということと、一人ひとりが自分自身と統合できる人が増えていき、本来の姿でよりパワフルになるという流れになり、この星の波動が軽くなる、進化のスピードが加速することに繋がっている。当たり前が当たり前でない状況の中で、枠や固定概念が取り払われ、本来の形で本心とやらを感じやすくなる。これはこういうものだと諦めていたこと、思い込んでいたことがそうではなくなる。自分の望みが明らかになり、内から湧き出る自分発信のエネルギーで回りだす。そのポジティブなエネルギーで溢れ出したエネルギーが、周りに分け与えてさらに加速するそんなイメージ。

 

これからは何処かに所属するというより、個としてフラットなネットワークの中で、自由にコミットして生きていく時代。

だから、自分で自分の尻は拭くという流れができる。これもまた自身の発言や行動への責任が増し、要は精神性の向上に繋がっている。

 

風のように目にはみえないけど、たしかにそこにあるもの、そんなものが解るようになる時代。なにがみえるのか。それはそこにある愛だと思う。人とひとが交わす会話にある、目には見えないけれども確かにあるエネルギーとか、この世の中にありふれている、豊かなものが。

 

風の時代を経て向かうのは、最後のサイクル水の時代。まだ200年ほど先の話だが、ここには境界線がない。何もかもが融合した天国みたいなせかい。

要は、向かっている先は、個々それぞれが統合し、まわりと自然と調和し、ひとつになるということ。

 

皆違っているけど、皆同じ。皆同じだけど、皆違っている、そんなせかい。クロとシロと2つで一つなんだよ。